Nine Lives日本盤ようやく登場

でかい画像で失礼します(^_^;
ようやく『Nine LIves』の日本盤が発売になりました。
もちろん、この赤いのはDVDつきの初回限定盤で少々値ははりますが、通常のプラケース仕様の輸入盤とちがい、こちらはデジパックになってますし、まだ入手していない方は断然こちらがお薦め。
DVDはもうスティーヴのファンなら卒倒しかねないような内容です。スティーヴのお宅訪問、愛犬とスティーヴ、環境保護にいそしむスティーヴ、長靴で闊歩するスティーヴ、とミーハーファンも大満足ですが(?)インタビューの内容以上に、本人の一挙手一投足がその音楽の独自性とぴったり一致して、もう何度見ても幸せな気持ちになれてしまう素晴らしいドキュメンタリー。改めて思う天然、無自覚?の才人ぶり。ミュージック・ビジネスの世界において、こんな人はどこにもいないと確信します。やはり一生ついていこうと思ってしまいました。
アルバムのほうも私は入手してからひと月余り聴き続けていますが、それにしてもホントに飽きないですね。『About Time』も信じられないくらい飽きないアルバムでしたが、こちらも甲乙付けがたい。
なんでこんなに飽きないんだろうか。たぶんこれを聴いて、派手と感じる人は多くないと思うし、引っかかりがない、物足りない、なんていう感想もネット上で見かけたけど、そう書いてた人も聴くのをやめられなくなってるニュアンスもあったりして。「うーん、なんだこれ、なんか変だな。もう一回アタマから聴いてみよう…」みたいな。
最近は音楽もどんどんリリース、聴き飛ばされて、リスナーは一つの作品にじっくり向かい合うなんてことも減っている風潮じゃないかと思うし(もちろん自分もです)、刺激の強いもの、味の濃いものはたくさんあるので、これを地味と感じてしまう人もいるかもしれません。今の録音技術を駆使すれば、完璧でスキのない音楽なんていくらでも作れるし、また若くて驚異的なテクニックと感性を持った才能あるミュージシャンも山ほど出てきている時代です。
しかしよ~く聴いた方がいいです。反対意見がたくさんあるのを承知で書きますが(^^ゞ、『Nine Lives』と『About Time』には、『Roll with It』や『Junction 7』には正直なかったけど『Steve Winwood』『Arc of A Diver』そして『Back in the High Life』にはあった"マジック"が確実に存在している、というのが個人的見解。たぶんスティーヴは長年考えに考え続け、自分の作る音楽をどうすればいいのか、21世紀を迎えてようやく何かを掴んだんだと思います。
この一聴"地味"な音楽の広大なバックボーン、なぜここに至るのか、なぜスティーヴが今もって"天才"と言われ続けるのか、思いを巡らせれば巡らせるほど、再びプレイボタン押したくなる。単なるハモンドのロングトーンひとつに、実はものすごい情報量を含んでいる、これは驚くべきレコード(と書きたくなる)なわけですよ。
そんな風に繰り返し聴くにつれ、スティーヴならではの雄大なグルーヴにすっかり飲み込まれて、魔力を実感できるハズです。
ちなみにこちらやこちらやこちらでも好き放題勢いまかせに書きまくっておりますが、こんな駄文など読まずともいつまでも楽しめる『Nine Lives』。一家に一枚ぜひ。
スポンサーサイト
Comment
おじゃまいたします。
マジックが存在しているアルバムのお話、大変興味深く読ませていただきました。
過去に味わったマジックを「ABOUT~」「NINE~」にまた感じられたから、この2作におそろしくハマってしまったんですね・・
しかも魔力、増して回帰してますよね~。
ジャケットで手にしているギターが魔法のつえに見えてきました(笑
B.CREAMさんコメントありがとうございます。
もちろん、そのアルバムが出たときの時代背景なんかも関係していて、単純にスティーヴ側だけに原因があるわけじゃないと思うんです。
例えば『Roll with it』なんかは、『High Life』でガーンとブレイクした勢いを持続したまま、さらにソウル味を増したパワフルなものを目指したと思うんですけど、1曲目でおおっ!と思った他は、なんだか、音は派手だけど印象が薄いなあ、と思ってしまったんですよね。あのアルバムが大好きな人には怒られそうですけど(汗)、『High Life』にあったスティーヴならではの瑞々しい感性がなくなっちゃった気がして。
そこへいくと『About~』でファンをあっと言わせたあとの『Nine Lives』は、前作を踏襲しているのに、さらにあっと驚くような新たな魅力を開拓していたり、とにかく素晴らしいです。ここでの「マジック」の秘密は、トラフィックがそうだったように、結局「生演奏」にある気がします。お互いが誘発される、有機的な場といいますか。
『About』の前のスティーヴは、レコーディング手順としてまずコンピューターのプログラミングありき、っていうところに囚われちゃってたんではないかと。思えば再編トラフィックでさえ、コンピューター制御されてたわけですし。
別にプログラミング手法自体を否定してるんじゃなくて、スティーヴとしてはやはり、バンドで「せーの」でやるライヴ演奏に戻るべき時期だったんでしょうね。